苺ましまろ

アニメ版『苺ましまろ』1・2巻を借りてきた。1〜4話を観たことになる。まず全般的なことから:
聞いてはいたが、ヤバそうな所はのきなみ全消しか。ノーヘル然り、3人乗り然り、酒飲むと「変態」になるとのセリフ然り、「外人」→「外国人」等々。まあ、このあたりは世界観的に大きな影響はないか。しかし、当然と言えば当然ながら、伊藤伸恵 (以下、伸姉) が20才というのはやはり無理がある。少なくとも服装や勉強内容 (20才で年号暗記のようなことはしないだろう) で20才らしさを出して欲しかった。よく考えれば、短大生 (だったか?) という設定なら、妹達より早く家に帰っている日があっても、それほど不思議ではあるまい。*1
声としては、伸姉は完璧。他も大体イメージどおり (松岡美羽は最初違和感があったが、慣れれば問題ない) である。ただ、この手のアニメの常として、美羽・伊藤千佳のボケ・ツッコミが声質的にもタイミング的にも分かりにくいし面白くない。原作ではボケ・ツッコミが大きい活字で印刷されており、当然ながらタイミングはこちらの好きなように読めるので分かりやすかったのだが。これについてはまた後述。
ネタのタイミングとしては、美羽の倒れポーズは全般にナイスタイミング。
また、原作からの疑問だったのだが、「コッポラ」って名前、変ですか? 全国コッポラ協会から差別との訴えをおこされるかも知れないぞ。それから、動画化されると、笹塚くんの待遇の酷さが一層…。
さて、今日観た4話中でのイチオシは第3話である。ボケ・ツッコミのテンポもタイミングも良い。ネコミミ服は伸姉の所持品かよ! とのツッコミは出来るが、上で書いた「変態」のセリフが削除された分、伸姉の変態度を表わす表現として、なかなか良いと思う。脚本が花田十輝氏、絵コンテがあべたつや氏の回であった。
4話もBGMの演出が良い。またもや衣装は伸姉かよ! 脚本は花田氏。「変態」という言葉を使わず変態を表わす情熱には脱帽である。
以上。
I”s Pure』第1巻も借りてきたが、感想は明日にでも。
BGMはRAMMSTEIN『REISE, REISE』。観たアニメとの乖離が激しいのだが…。>私

追記

はてなダイアリーキーワードで知ったが、美羽と千佳の誕生日はダウンタウンなのね。笑いが大阪のそれだと思ってはいたが、こういう仕掛け(?)か。

*1:ちなみに:原作では16才で、6限目サボり常習犯、ノーヘル原付3人 (最大4人) 乗り常習犯、ヘビースモーカー (MILD SEV``U''N lights)、ビール好きだが飲むと「変態」となって女の子を襲う…と、よく考えると目茶苦茶な設定

ああ愛しのアンセブよ…

TVシリーズ*1くじびきアンバランス*2第1話を観た。
…分かった。先に褒めよう。人とは褒められることで伸びるはずだ。ともかく褒める部分から褒めてゆこう:次回予告、荻上千佳こと水橋かおり氏最高!
……。それだけかい。
いや、友人の中にはメカ状態*3の山田が良いという声もある。確かに、無駄に動きが細かいのは良かった。CG部が多かったり、深夜枠アニメにしては、全般に動きは良いほうではないかとは思う。
ただ、実は何がやりたかったのか、よく分からないというのが実感なのだ。『アフタヌーン』も読んでいることであるし、設定からして、より王道になっているのは知っていた。しかし、結果として「ただの萌えアニメ」になってしまったのは残念である。「ちょっと行き過ぎた王道」というのが、原作および第一期の面白みだと思っているので、それが無くなっているのが惜しい。マンガ版を読み返すと、細かなネタなどが散りばめてあり、楽しめるのだが…。結局、「次回予告が面白い」という感想になってしまうのであった。オープニングテーマだけはUNDER17のままだったら評価も変わったであろうが、これは大人の事情であろう。少なくとも後1〜2話は観るつもりなので、挽回を期待している。

*1:「第二期という呼称でよいのであろうか?

*2:正確には、白抜きハートマークが間に入るが、入力が面倒なのと、はてなダイアリーキーワードにリンクされないのでgblogでは省略することとする

*3:という表記でいいのだろうか…

Top2!

そろそろ『トップをねらえ2!』最終話に触れてゆこうかと思う。あまりネタバレはしたくないので、「評論」カテゴリに分類されているのは、のちのち検索しやすいようにしているだけ、ということにしていただきたい。

以下、関連作品を含め、若干ネタバレにあたる可能性アリ↓↓↓↓↓↓↓↓

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昨日、『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG Individual Eleven』(asin:B000BVARGU;以下、IE) が届いた。いくらかまとまり過ぎの感はあるが、最後の最後で、やはり「僕等は皆…」で泣きそうになる。
攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX The Laughing Man』(asin:B0009XTEIM;以下、LM) と比較すると、まとまりかたとしてはIEが遥かにまさっている。カッコいいアクションシーンのオンパレードで、もう少しブラッシュアップして動きを付ければ、一流の映画にもなろう。LMは難解である。元々の話が簡単でない上に、必ずしも解りやすい再編集をしていないからである。IEはシリーズを見ていない人でも、ストーリー・設定についていけるのではないであろうか? いくらか、唐突に説明くさいシーンがあったとしても。
しかしながら、私はLMを評価したい。LM単体、初見ではストーリーを理解することは難しいと思う。だが、登場人物の裏側、その考えなどを、意図的かどうかはともかくとして、ちゃんとしたキャラクターとして描ききっている。アオイはカッコいい。素子も課長もトグサも、その言動に一貫性があり、説得力がある。ともかくカッコいい。
一方、IEはストーリーとアクションを描くのに精一杯で、キャラクターを描けていない。一瞬の回想シーンやセリフでは、素子とクゼの微妙な距離感も、タチコマにゴーストが宿る展開も描ききれない。LMでは、アオイが、そして模倣者が生まれる過程、そのシクミを描けていた。IEでは、捏造された書物「個別の11人」には触れられもしない。シクミが置き去りになっている。残念ながら、クゼも素子もバトーもカッコよくない。一人*1も同様である。
IEの、このバージョンが製作側の意図だとしたらどうだろう? 本当の「英雄」は誰なのだろう? 当然、一人*2ではないが、クゼでもない。タチコマである。しかし、やはり、苦言を呈して申し訳ないが、その背景描写は足りない。
蛇足だが、(電脳空間上を含め) タチコマ達は「支援AI」と素子だったかに呼ばれていた。士郎正宗攻殻機動隊2 MANMACHINE INTERFACE』(asin:406334441X) のマックスだとかあの辺りのタコ達も「支援AI」という呼称が良いのだろうか?

翌日追記

タチコマが英雄となったということは、結果的に合田はその計画を完遂したということとなる。《攻殻》は達観し、他者を圧倒する力を持った主人公達によるドラマである。これが「ドラマ」として成立するためには、彼らは「カッコよく」なければならない。完膚なきまでに圧勝しなければならない。弱いものへの感情移入ではなく、強いものへの憧れにより、ドラマは突き進んでゆく。
『2nd』では作戦上、彼らは負ける。英雄の座をタチコマに譲るしかない。しかし、公安9課とクゼとの背景が詳細に、しかし含みを残しつつ描写されることにより、彼らは「汚いが英雄的な過去を持つカッコいい奴等」となる。『2nd』で、圧倒的な主人公達を抱えたドラマを支えていたのは、この部分である。しかし、IEではここが抜けてしまっている。カッコいいのはバトーの「素子ー!!!」の叫びと、タチコマの最期だけである。
従って、IEが製作者の意図だとすれば、タチコマが英雄であるしかない。公安9課でもクゼでもなく。

*1:「かずんど」と読むべし

*2:くりかえずが「かずんど」である

のび太の未来、またはフラッシュ先生*1の語る真実

のび太藤子・F・不二雄ドラえもん』内のエピソードで、自らの将来の仕事について、「楽でかっこよくてお金の儲かる仕事」*1が良いと言っていた。当たり前? そりゃあ、そうである。ただのぼやき? そう見えるかも知れない。しかし、私はここに違うものを見る。ドラえもんは「そんな仕事ないよ」*2と返答する。だが、のび太はその程度のことを言っているのではない。良識ある<オトナ>*3としてのドラえもんは、この程度の返答しか出来ないのである。
浜田祐介『藤子・F・不二雄論』(asin:4835518748) にもあるように、『ドラえもん』は、普通であれば大人向け短編集にでも収録されるような、F氏のダークサイド、または宮崎駿氏風に言えば「ダメだよ、本当のことを言っちゃあ」*4が時々入ってしまう作品である。
では、<子供>たるのび太はこの世界に何を見ているのか。つまりは、「楽でかっこよくてお金の儲かる仕事」が存在しないというニヒリスティックな真実であるが、存在しないものへの<子供>による言及は何を意味しているのか。言い替えてみよう。人は、*ただ生きる*ためにすら、一所懸命にならねばならない。更に言えば、**ただ存在する**ためにすら、*ただ生きる*ことが必要である。この事実がニヒリスティックなのだ。そして、**ただ存在する**ことすら、純粋には許されない。*ただ生きる*時間は有限であり、宇宙の存続する時間も有限だからである。人は**ただ存在する**ことは許されない。***ただ死ぬ***ことしか許されない。「しっかり生きて、それから死になさい!」*5なのだ。***ただ死ぬ***ために、一所懸命にならねばならない。まさに「一生懸命」に他ならない。
存在しないものへの<子供>による言及は、<子供>が、<オトナ>たるドラえもんには無い「くもりなき眼」で、世界の上部構造を見ていることを意味する。のび太が生まれた世界は六道*6のうち、天上界ではない。人間界である。天国・地獄という分け方*7をするならば、「天国でないかぎりは地獄」なのである。この世界。この、一生懸命生きても死ぬしかない世界。このような構造をもつ世界への、<子供>のささやかな反逆なのである。

*1:厳密な引用ではないが、ほぼこのようなセリフであった筈である

*2:同じく、厳密な引用ではない

*3:機械としての経験値不足から<コドモ>っぽい行動をとることは多いが、ドラえもんの思考形態は大人のそれである

*4:新世紀エヴァンゲリオン》映画版や『もののけ姫』が公開されたころ、サハラ砂漠だったかで行われた、宮崎氏と庵野秀明氏との (非常に珍しい) 対談でのセリフ。この「本当のこと」を見付けてしまった私が『THE END OF EVANGELION』に、昨年、大きな衝撃を受け、以来、観る勇気が起きないことは、知る人ぞ知る事実である

*5:THE END OF EVANGELION』より引用;昨日の時点では「一生懸命生きて」だと思っていた。フィルムブックで確認して、翌日訂正。申し訳ない

*6:「世界の上部構造」の一つの解釈である

*7:同上

あまりにヴァイオレットな

映画『ウルトラヴァイオレット』(原題:``Ultraviolet'') を観てきた。http://zeroreturns.blog.shinobi.jp/Entry/66/http://www.cs-tv.net/t/D000000/&movie_id=00008976 などをみると、やはりアメコミの実写版のよう。簡単に感想など。以下、本作品、および論ずるのに必要な他作品へのネタバレを含む。注意の程。

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非宗教性

別に評論でもなんでもないのであるが、カテゴリーを考えるのが面倒なので:

赤十字が、「赤新月」に加え、「赤水晶」を採用とのこと。水晶は宗教的でないのか…そうか…。