のび太の未来、またはフラッシュ先生*1の語る真実

のび太藤子・F・不二雄ドラえもん』内のエピソードで、自らの将来の仕事について、「楽でかっこよくてお金の儲かる仕事」*1が良いと言っていた。当たり前? そりゃあ、そうである。ただのぼやき? そう見えるかも知れない。しかし、私はここに違うものを見る。ドラえもんは「そんな仕事ないよ」*2と返答する。だが、のび太はその程度のことを言っているのではない。良識ある<オトナ>*3としてのドラえもんは、この程度の返答しか出来ないのである。
浜田祐介『藤子・F・不二雄論』(asin:4835518748) にもあるように、『ドラえもん』は、普通であれば大人向け短編集にでも収録されるような、F氏のダークサイド、または宮崎駿氏風に言えば「ダメだよ、本当のことを言っちゃあ」*4が時々入ってしまう作品である。
では、<子供>たるのび太はこの世界に何を見ているのか。つまりは、「楽でかっこよくてお金の儲かる仕事」が存在しないというニヒリスティックな真実であるが、存在しないものへの<子供>による言及は何を意味しているのか。言い替えてみよう。人は、*ただ生きる*ためにすら、一所懸命にならねばならない。更に言えば、**ただ存在する**ためにすら、*ただ生きる*ことが必要である。この事実がニヒリスティックなのだ。そして、**ただ存在する**ことすら、純粋には許されない。*ただ生きる*時間は有限であり、宇宙の存続する時間も有限だからである。人は**ただ存在する**ことは許されない。***ただ死ぬ***ことしか許されない。「しっかり生きて、それから死になさい!」*5なのだ。***ただ死ぬ***ために、一所懸命にならねばならない。まさに「一生懸命」に他ならない。
存在しないものへの<子供>による言及は、<子供>が、<オトナ>たるドラえもんには無い「くもりなき眼」で、世界の上部構造を見ていることを意味する。のび太が生まれた世界は六道*6のうち、天上界ではない。人間界である。天国・地獄という分け方*7をするならば、「天国でないかぎりは地獄」なのである。この世界。この、一生懸命生きても死ぬしかない世界。このような構造をもつ世界への、<子供>のささやかな反逆なのである。

*1:厳密な引用ではないが、ほぼこのようなセリフであった筈である

*2:同じく、厳密な引用ではない

*3:機械としての経験値不足から<コドモ>っぽい行動をとることは多いが、ドラえもんの思考形態は大人のそれである

*4:新世紀エヴァンゲリオン》映画版や『もののけ姫』が公開されたころ、サハラ砂漠だったかで行われた、宮崎氏と庵野秀明氏との (非常に珍しい) 対談でのセリフ。この「本当のこと」を見付けてしまった私が『THE END OF EVANGELION』に、昨年、大きな衝撃を受け、以来、観る勇気が起きないことは、知る人ぞ知る事実である

*5:THE END OF EVANGELION』より引用;昨日の時点では「一生懸命生きて」だと思っていた。フィルムブックで確認して、翌日訂正。申し訳ない

*6:「世界の上部構造」の一つの解釈である

*7:同上