最終兵器オカン…じゃなかった

最近は映画等を見ても感想の一つも書かないことが多かったあたし。しかも、「書く」と言っておきながら…。旧弊を改めるべく、…違うか昔の状態に戻るべく、実写版映画『最終兵器彼女』について書こうかと思う。原作の大ファンではあるが、適度な距離を保ちつつ評論したい。
以下ネタバレ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
(注:「ちせ」について…人物としては ちせ、最終兵器としては <ちせ> と表記する)
所謂「セカイ系」の映画の作りというのには疎いのだが、少なくともこの実写版では、原作やアニメ版にあった、「ちせの兵器としての抽象的さ」は完全に取り払われている。もちろん、質量保存の法則などあったものではないが、成長してゆくごとにどんどんと抽象的になってゆく<ちせ>を描いているわけではなく、飽くまで物質的、あるいは具象的な存在として<ちせ>を捉えたストーリー (同時に<ちせ>の存在に社会的な事情を付加している) となっている。「実写でこの抽象度合をいかに描くか」と少々楽しみにしていたのだが、反対に、映像化しにくい描写を避け、物質的な<ちせ>にとどめるのも一つの方法ではあるので、それを前提として話を進めよう。ただ、「原作が…」とは違う意味で、いくばくか残念な所はある。これについては後述したい。
映画として観始めたときには、正直、全く期待していなかった。邦画で、しかもマンガ原作。嫌な思いはいろいろとしてきている。しかし、なんとこの映画は「地雷」ではなかった。全体的な事から始めよう。少し観て、あたしが思ったことは、「え? 結構よく出来てない?」である。CG部分も<ちせ>の雰囲気をとてもよく表わしており、街の破壊のされ方等々、良くできている (CGくさいのは確かだが)。一本の映画として、アメコミ原作映画並みの作りになっている。段々と邦画も期待できるようになってきたか?
特に<ちせ>は良い。兵器部分が生えてくる描写、格納される描写、変形描写、そして敵への攻撃方法。自らの能力がコントロールできなくなったちせから生える触手状の兵器部分は、アニメ版より断然良い。アニメ版では、抽象的な<ちせ>を描こうとしていたが、それにしては触手が有機的すぎて、「抽象的」どころか「生物くさく」なっていたのだ。映画版では、生物的な動きながら、見た目は完全に、ちせを侵蝕する兵器であって、微妙なラインを保つことに成功している。ちせの胸の傷に至っては、原作、アニメ版双方を凌駕する出来である。痛々しさと、それを見たシュウジの動揺をもっとも良く表わせている。
細かいことであるが、最終兵器になった経緯をちせが「気付いたら」「記憶がない」と言っているのも、成功しているところである。この世界観では、あの状況を説明するのに、これ以上の言葉は無いし必要ない。まさしく必要十分。
では、不本意ではあるが、悪い部分である。
邦画の不満点は未だ解決されていない。話と演技のテンポが悪い。何度も「何故そこで○分の1秒程度の間を置く?!」と突っ込みたくて仕方がなかった。
キャスティング先行なのか知らないのだが、重要キャラの演技が下手なのも問題である。特に目についたのは、シュウジのナレーションとテツさんの怒りの演技である。前者は、キートン山田にでもやらせた方が良い、と暴論を吐きそうになるくらいに感情移入を妨げてくれた。後者は純粋に演技の問題である。最重要人物であるちせに対して、あそこまでの行動に出るからには、よほどの怒りがテツさんにはあったはずである (むしろ、そうでないとあのシーンの意味がない)。しかし聞こえた声は、中途半端そのもの。声帯が割れるほどに叫ぶか、逆に冷徹な声になるか、というのが妥当であろう。全般にちせの演技は及第点であったが、「生きたい!」の部分に説得力がない。これに関しては、ちせ役の演技というよりは、ストーリーとテツ役の演技とに説得力がないため、引っ張られてしまったものだろう。
セットや小道具も突っ込みどころはいろいろあるが、目に余った部分を一つだけ。自衛隊の研究所である。…一体いつの時代の戦隊物ですか? 時代錯誤のアイデアしか思い浮かばないなら、「暗くてよく分からない」にしておくべきであった。
さて、クライマックスである。原作ではどこまでも抽象的になっていった部分である。映画版は抽象的であることを捨てているので、物質的な設定でどこまでのものを見せてくれるか、が評価の分かれ目である。確かに<ちせ>はカッコいい。ロケット切り離しや、宇宙空間での描写、最後の落下した<ちせ>も逸品だ。しかし、話・設定としてはあまりに無難である。
まず、最終形態<ちせ>の「恐ろしさ」が全然伝わってこない。映画中でも、それこそ原作以上に強調された「最終形態の恐ろしさ」であるのに、「小さいロケットだなあ」で終わってしまう。いや、実は大きいのかも知れないが、比較対象が画面内に少ないために、実感がない。SF者の感覚かも知れないが、この程度の派手さでは足りないと思うのだ。物質的な<ちせ>を描くのであれば、「全てを敵に回して」戦える者の姿ではない (抽象的存在であれば姿は関係ない)。空全体を覆うほどにまで巨大化して…というと、映画のコンセプトに合わないかも知れないが、<ちせ>の強大さの伝わる映像が欲しかった。また、最低でもどんでん返しがもう一つは必要であろう。
結局のところ、《最終兵器彼女》という「なんでもアリ」な背景を持ってきておいて、それを活かし切れていない。消化不良に終わるのはそのためであろう。
いろいろ言ってきたが、実写版『キューティーハニー』よりは面白いよ。