論理的思考の欠落に関する考察
先週の金曜日のことであった。朝、会社に行く前に「とくダネ!」を観ていた。オープニングトーク。小倉智昭氏らの話で番組は始まる。そのときの話題は、「数十光年だったか離れた恒星系に、液体の水の存在する惑星が有る可能性、更にはそこに生命体が存在する可能性がある」というようなものであった。そこで小倉氏はこのように言う:
「そら見たことか」(厳密な引用ではない。以下同様)
どういうことか。しばらく前に、イギリスだったかの学会が、UFOが宇宙人の乗物だという説を否定したとのニュースが、同じ番組で取り上げられていたのである。その上、「他の惑星に生命体が…」という発見もヨーロッパでなされたものだったのである!
「そら見たことか」
「どちらかに統一しろ」
「やっぱり、UFOはいるのだ」
……。私は絶句した。小倉氏よ、あなたはいつの間にそこまで論理的思考が出来なくなっていたのだ。この人は、この小倉氏は、「占いの時間になると、あからさまに仏頂面になって、私を楽しませていた小倉氏」ではない。以下は、「当然の話」である。本来ならば、こんなところに書く必要のある内容ではない。ましてや、小倉氏のトークに端を発して書く内容ではない。しかし、小倉氏までもがこのような状況に陥ったことを考えると、書かねばならないのである。
まず、以下の命題を考えて欲しい:
これらの命題の論理的関係はどのようになっているであろう。言い替えれば、「何が言えれば、何が言える」のであろう。順に見てゆこう。
2 が言えるためには、《未確認飛行物体》が目撃される必要があるので、1 が言えねばならない。すなわち、
- 2 が言えれば、1 が言える。(つまり、「目撃された《未確認飛行物体》の一部は地球外知的生命体由来」ならば「《未確認飛行物体》は目撃された」。論理式で書けば、2⇒1)
同じく 2 が言えるには、地球外知的生命体が存在する必要があるので、3 が言えねばならない。すなわち、
- 2 が言えれば、3 が言える。(2⇒3)
そして、当然ながら、地球外知的生命体が存在するには、地球外生命が存在する必要があるので、
- 3 が言えれば、4 が言える。(3⇒4)
1 から 4 までの命題からは、これ以上の論理的関係は見出せない。まとめると、
- 2⇒1
- 2⇒3⇒4
である。後者は三段論法により、
- 2⇒4 (※1)
となる。更に対偶をとると、
- ¬4⇒¬2 (※2。「¬」は否定の記号)
さて、ニュースでは以下のことを伝えていた。
- 2が否定された。(論理式では、¬2)
- 4が成り立つ可能性がある。
しかしながら、上の論理式 (※1) (※2) を見れば分かるように、¬2 から 4 を否定することは出来ないし、4 から ¬2 を否定することも出来ない。これらのニュースの伝えている内容は独立なのである。
同様に、¬2 から ¬1 も導けない。
私の考えを言おう。至極当然の意見と思っているが、如何であろうか:
- 《未確認飛行物体》は目撃されることがある。実際に嘘とは思えない目撃証言があることは事実である。(つまり、1 が成り立つ)
- 地球外知的生命体は存在する可能性が高い。ただし、地球と交信可能な範囲に存在するかどうかはわからない。(3 の可能性が高い)
- 《未確認飛行物体》は地球外知的生命体とは関係ない。自然現象なり、見間違いなり、心理的作用なり、秘密兵器なりで説明できるものと考えている。(2 は否定する)
今度は「東京の地下鉄の分かりにくさに関する考察」を予定している。