FAHRENHEIT 9/11

実家に帰っているとき、そろそろ寝ようかと思いテレビに目をやると、このような文字が浮かびあがっていた。
FAHRENHEIT 9/11
え? もしかして? というわけで、こいつは観なければなるまいと、家族全員で夜更しをすることになったのである。マイケル・ムーアの『華氏911』(原題:FAHRENHEIT 9/11) である。
例によって、細かな論評は丸投げする。まず、反対派 (恐らく) から:「華氏911」とイスラエル。これは、ネオコンブッシュ政権の繋がりを指摘している点で、一読の価値がある。しかし、今回はこちらを是非とも読んで頂きたい:2004-06-25 (以下「ベイエリア」;特に「追補」の部分が重要である)。
まさにそうで、前半のサウジアラビア云々は、あまりに散文的すぎて、批判としての体をなしていないとすら言える。なんでも「あとは分かるよね?」で終わらせるのが評論ではないはずである。そこで、「○○だ!」と言ってこそのムーアではなかろうか? ネオコンとの繋がりを勘ぐられる (あるかどうかは私は知らない) のも致し方ない。
であるが、映画の主題は後半である。構成が悪いという指摘はあたるであろうが、実際そうなのである。如何に多くの人間が「こんなこと」のために犠牲になり、しかし、その批判すら許されなくなりつつある社会。最近、話題になっている、日本の「共謀罪」にも通じうるテーマである。「ベイエリア」から引用する:

ムーアの目的はいい映画を作ることでも、
公平なジャーナリズムでもない。
ブッシュを一刻も早く止めさせること、
少しでも無駄な犠牲を減らすことなのだ。

そういうことである。そして、それが必要なことなのだ。ムーアはロックしている。多分、そうなのだ。
ただ、ブッシュ達がラジー賞を受賞していたとは初耳。(参考:華氏911 - Wikipedia)