THE LAST LOVE SONG ON THIS LITTLE PLANET

『トップ2』にひきつづき、アニメ版『最終兵器彼女』第12話および最終話を観ました。鑑賞後、原作をぱらぱらと見て、比較してみたり。
以下、ネタバレを含む可能性があることに注意。
本当に『最彼』ミニマムという感じ。シュウジとちせにより焦点が絞られることにより、物語がより純粋になっている。所謂「セカイ系*1的に、と言ったらいけないだろうか、分かりやすくなっている。と言えようか。
兵器としてのちせは、原作ではどんどんと抽象的なものとなってゆく。そして、ラスト。マンガであるのに、ちせの描写は言葉(「その/半透明の体は(中略)赤く、/静かに、そこに/在った。」(原作7巻p.297より引用) )でしかなくなる。マンガとしては、完全に、ちせは形而上学的なものとなった、と言って良かろう。アニメ版はこれを更に押し進めた、もしくは、少なくともアニメで可能な範囲内で、同様に形而上学的な表現を行い得た、と私は思う。私は、アニメのラストはとても好きだ。
しかしながら、唐突過ぎる感はある。つまり、それまで抽象的なちせを、あまり描いてこなかった、という問題である。ちせはあまりにバイオ的であるか、物質的すぎるかで、最後に無理矢理原作に立ち戻ったという印象はある。兵器としてのちせは、もっと抽象的、もしくは「抽象機械的*2であるべきで、例えばちせの町を救うシーンなどの、純粋に機械的な描写は余計であったと思う。あそこは完全に、原作の勝ちである。
ああ、疲れた。今日はここまで。明日は梅田に買い物に行く予定。

*1:原作の頃にはこの言葉は無かったが

*2:ここでは、完全なオーバーテクノロジーの産物、という感じの意味を想像していただきたい