新生の終局、または私はオタクであるかどうかの考察

以前、友人とエヴァの映画の話をしていたときのこと。以前の日記でも書いたが、エヴァはストーリー的には映画のDEATH編と「Air/まごころを、君に」があれば網羅できる*1。友人曰く「REBIRTH編ってどんなのだっけ?」。私:「Airの最初の30分」。友人:「要らないじゃん!」。違うのだ。まったく違う。あの、REBIRTH編最後の、アスカが量産型エヴァに驚くシーンから、エンディングテーマへの移り変わりが、素晴しいのだ。それを私はセリフと歌付きで再現してあげた。…キモオタ扱いされました…。我が家のどこかにWOWOWで録画したREBIRTH編があるはずだが、見つからない。
ところで、近々エヴァ映画版のDVDを買うつもりでいるのだが、一番気になっているのは、「どちらの映画版か」である。いや、本当のエヴァマニアの間では常識なのだろうが、私は知らないので。つまり、説明すると、『THE END OF EVANGELION』と『REVIVAL OF EVANGELION』では、(細かいところも、かも知れないが、大きいところでは) スタッフロールの演出と映画の最後に表示される場面が違う(『END』では「終劇」、『REVIVAL』では、「完」)。私は共に『END』の方が好きである。
B級映画好きの父親がビデオ屋で借りてきた『リバーワールド』を観る。うん。まさにB級。ってか、これってテレビ映画でしょ? それを最新作で借りるなよ、父よ! アニメ版『最終兵器彼女』は多分3巻まで観たと思うので、私は4および5巻を借りてきた。ゆっくり観ていこうと思う。

*1:念の為に説明:DEATH編とREBIRTH編は併せて一つの映画『シト新生』。もうひとつ、「Air/まごころを、君に」が『THE END OF EVANGELION』というタイトルで上映。更に両方併せて、『REVIVAL OF EVANGELION』という名前で上映されている